思い
なにより市民の幸せこそが一番
米原で生まれ、米原の学校で学び、米原の多くの人のお世話になり、今の宮川があります。米原市に住む全ての人たちが「米原に住んで良かった」と言ってもらえるようにしたい。我が故郷「米原」の為に私の人生で得た全てを「米原」に捧げます。米原の人たちから「宮川に出会って良かった」と言ってもらえるように全身全霊をかけ、私から「米原の皆さんに出会って良かった」とご返事したい。米原の皆さんとの温かいつながりを持ち続けたいのです。
米原市に住む全ての人たちが幸せで、笑顔に満ちあふれ住みやすく他の市町村からあこがれられる米原市にしたい。そして次の米原市を担う子供たちが夢を持ち続け、将来の米原市が今より更に元気で活気ある街になっていることを心から望みます。 学生時代の頃からいつかは誰かの為に自分を犠牲にする時が来ると思っていましたが、今こそ「米原の為に」全力を捧げます。
会社で働きながら両親の介護に奔走し、今、妻と小学生の娘の生活を守る責任があります。
あわせて、関西大学を卒業して大手民間企業で働きながら、日本経済の全盛期であるバブルを大阪で目の当たりにしました。落ち込んだ経済の活気を取り戻さなければなりません。バブルを経験して知っているからこそ、米原市の好況に全力を上げて取り組みます。
実際に体験してバブル全盛期を知っているのは昭和40年生まれぐらいまで(令和5年現在で56~58歳以上)で、さらに民間企業にいた人たちだけです。令和7年10月までは該当する議員は1名だけです。
中小企業、商店街、地元で働く全ての皆さんに元気で活気ある笑顔になって頂くこと、皆さんの願いは私の仕事です。
子どもたちが生き生きと成長できる支援、いじめゼロの健全な教育を求めます
幼少の子どもたち、こども園・保育園で成長している子どもたち、勉学やスポーツで一生懸命に将来を見据える小学生・中学生・高校生や大学生、全ての子ども達が生き生きと成長できるまっとうな子育て支援・家計支援、弱い子どもにも目を向けながら公平平等な教育支援に努めます。
山東小学校の一室に飾られている歴代校長の第25代は、父の宮川博です。父は教頭先生として山東東小学校に就任すると同時に、子どもの安全に不安を抱き運動場をフェンスで囲みました。父は「気付けばすぐに実行せよ」と言っていました。「弱い子どもから必ず『助けて』のサインが送られてくる。そのサインに早く気づき、壁を乗り越えて実行に移す勇気を持て」といつも口癖のように言っていました。迅速な対応があれば「いじめ」のほとんどは早期に解決できます。いじめは最悪のケースで子どもの命が失われてしまう。そうでなくても子どもの心に深く傷がつき長く悩み続ける。このような理不尽を私は許さない。米原市いじめゼロを必ず達成します。
学校給食費の無償化は一度議会で否決されています。学校給食費を無償にすることは親子さんの願いです。
一度否決されても二度、三度と法案を提出します。親子さんの願いを実現するのは私の仕事です。
私の人生の大半は民間企業です。さらに教員の息子として父から学んだ子ども達への愛情もしっかりと生かしていきます。
介護サービスを受けるご老人もいらっしゃれば、ご自宅でお過ごしになるご老人もいらっしゃいます。
そして、自分のご両親に介護を通じて愛情を捧げているご家族・ご親族の皆さんがいらっしゃいます。米原市やひいては広く地域の為に人生のほとんどを働いて、公の為に人生を捧げて下さったご老人の皆さんに深く感謝を申し上げます。ご老人の皆さんへ手厚い支援をお約束します。また介護して頂いているご家族、ご親族、介護施設・介護組織も含めて、一生懸命に介護する側の人たちへの支援も絶対に必要です。